悪性リンパ腫、抗がん剤治療2回目。その2
2017.9.8.
お久しぶりです。
非ホジキンリンパ腫:節性辺縁帯B細胞の深冬です。
私はどうやら抗がん剤とは相性が良くないようです。
体調がガタガタです。
それともステロイド系の薬の副作用でしょうか。
はたまた過敏性超症候群のせいでしょうか。
さらに逆流性食道炎、そして線維筋痛症。
どれもが抗がん剤治療の行く手を阻んでいるようなきがする今日この頃です。
酷い便秘がやって来ました。
断続的にやってくるお腹の疼痛に耐えること6時間あまり。
祝日だったので医者に助けを求めるという発想は、テンパってる私には出てこず、ネットに助けを求めました。
玉石混合のネット情報。
でもとにかくやってみるべし。
よくある対策法のなか、知らなかったものを発見しました。
それが「うつぶせ」。
そして一杯の水分をとり、あとはリラックス。
痛みがなくなるわけでありませんでしたが、無事開通。
今は、起きたらすぐ毎朝一杯のお白湯を飲んでます。
プラシーボ効果かもしれませんが、なんとか苦しい状況からは逃れつつあります。
以前は薬に頼ると自分本来の治癒力が落ちるような気がしていましたが、気力でどうにかなる状況ではなくなったと自覚。
今は、薬の力も時には借りて、なんとか便通問題に光明を見いだしております。
そして前回、引かれるかもとお話ししていた件ですが今回の疼痛便秘からの下痢へのジェットコースター的苦痛から、「子ども帰り」をしてしまいました。
5才の女の子みたいに、母に「お願い、見えるところにいて」と懇願してしまいました。
母は、気軽な様子でずっと側にいてくれました。
お陰で、精神的安定を取り戻すことができました。
もちろん、母がそうできるようにサポートしてくれたのは父です。
本当に感謝しています。
ただ、この疼痛便秘下痢の最中、嘔吐もしまして……
私が「苦しい」「もうやだ」という類いの言葉を呪詛のようにブツブツ小さく繰り返していたら、それを見ていることしかできない母は、余程辛かったのでしょう。
「抗がん剤、止めたら」と泣きそうに言いいました。
こんなに苦しんで、娘はもう死ぬに違いない。それならば、もっと楽な選択させてあげたいと思ったそうです。
私たち家族は延命治療はしないと、決めていたので、母がそう思ったのも無理はありません。
丁度その言葉を耳にしたとき、私は呪詛吐きの真っ最中。
原因は、過敏性腸症候群の最大級と見当をつけていた私は、母にそんな言葉を言わせてしまったのを申し訳なく思う一方。
心のどこかで、鳴りを潜めていた「ユーモア」が、苦しい体と心に甦ってきました。
それじゃ、確実に死んじゃうし。
なんだか可笑しくて、突っ込みたかったけど、息が切れてて声が続かず、真剣な母には「だいじょうぶ」とだけ伝えました。
さて、こうして一山越えたのですが、なんと、翌週新たな副作用が発現。
薬湿がみるみるうちに広がっていくという、ちょっとしたホラー的出来事に遭遇。
次回、お話しできればと思っています。